「さよなら、ソニー。」 | 50+(フィフティプラス)
「さよなら、ソニー。」
PHOTO: Sony Compact Digital Camera Close Up of Logo by digitpedia via Flickr
ソニーがどんなに素晴らしい企業だったのか。そして、どのように私たちの暮らしを豊かにしたかを忘れることは出来ないだろう。これまでの功績を目の当たりにすれば、ソニーが4年連続で利益を出していないことはにわかに信じ難いだろう。最近の発表によれば、今年度の赤字は当初の予想を2倍も上回り、65億ドルに上った。これを受けて、ソニーには資本の15%に落ち込み、10年前と比べるとその企業価値は1/4にまで落ち込んでいる。
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かつてソニーはマーケットの創造者であり、マーケットを牽引した企業だった
第二次世界大戦の後、ソニーはテキサスインスツルメント社のトランジスタ技術を一躍有名にし、後にどこでもお馴染みとなるトランジスタラジオを発明する。ソニーの共同創立者である盛田昭夫氏の下、最先端のテクノロジーを追い求め、経営権を持つ首脳陣は数え切れない時間を、どのようにして革新的な最先端の技術を日々の生活に活かし、生活レベルを上げられるかを考えたという。新しいマーケットを創造するという情熱を持ったソニーは、今日私たちが"家庭用電化製品"と呼ぶマーケットの創造者、そして支配者となった。
成功した素晴らしい製品を連続して発表出来る会社は極僅かだ。ソニーの経営会議にまつわる話では、幹部は会議にて85%の時間をテクノロジー、製品、新しい市場について、10%をヒューマンリソースの問題について、5%を財務状況について費やしたという。盛田氏にとって売上げなどの財務に関する結果は、新しい製品や市場を発展させる為にどのような働きかけたかによって左右されるという。もし、ソニーが初期のマーケティングや製品開発を正しく行えば、おのずと結果は良いものなるということだ。今となっては、これは過去の彼らだ。
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日本企業、インパクト、ソニー
1980年半ば、アメリカはパニックに陥っていた。何故なら、製品の生産がソニーのような外国企業に支配されるかもしれなかったからだ。これは家庭用電化製品だけの話ではなく、自動車、バイク、キッチン機器、鉄鋼などの成長中であった分野に置いても同じことだった。アメリカの政治家たちはソニーのように驚異的な成長を遂げている"日本企業"の競争相手を頼り、日本の通産省(現在の経済産業省)がどれほど力強いか、そしてどのように米国の製造業に打撃を与えているかについて話し合った程だ。その上、当時のアメリカ企業は原油価格の高騰で産業が機能不全にもなっていた。このタイミングで日本の製造業は低いコストで作れる製品のセールスを伸ばし、利益を得るというイノベーションを起こすことが出来た。
それでは、なぜソニーは赤字企業になったのだろうか。
まず最初にソニーとは工業経済における国内のブームだった。W. Edward Deming氏は1950年代の日本は、製造における工程の最適化と品質の画一化を行ったと分析している。Deming氏は製造過程の改善と算術化というコンビネーションを用い、製造過程をより早くし、高品質の製品を安く仕上げることに集中するように日本のリーダーたちを説得した。アメリカ人のDeming氏は日本が戦後に外国の資本とマーケットに依存していることを逆手にとり、日本の製造業を1940年台にアメリカで実践した通りの産業化へ舵をきるように力説した。1940年代にDeming氏がアメリカで行った産業化への改革は軍事産業を瞬く間に大規模なものにし、アメリカが日本に勝った要因の一つとして賞賛されている。
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残念ながら、彼の産業化への中途半端な働きかけは全般的に見ると、研究開発と技術革新を発達、実装させる為の専門技術を少しだけ日本の財界人に残したに過ぎなかった。時が過ぎるにつれて、ソニーの「製造の為に製品を開発する」という姿勢が、「新しい市場を開拓する」という情熱を犠牲にすることになる。
VAIOはソニーの功績ともいえるテクノロジーを持っており発売当時は中々良かった。しかし、ソニーはDell、HP、Lenovoなどの素晴らしいパソコンを作るより、安いパソコンを作ることに重きを置く企業とのコスト・価格・製造における激しい競争に身を投じる羽目になる。ソニーが独自に発達させた産業戦略は、マーケットにおける競争相手よりユニークで新しい製品を作るよりも、製造過程の改善と大量生産でコストを削減するということに焦点を当てたものだった。
携帯電話ではどうだろうか。ソニーはエリクソン社を買収し提携した。携帯電話の事業においても、新しい技術やアップルが行ったような、これまでに無いようなな優れたデバイスを作る努力を行わなかった。その代わりに、大規模な製造でより大量生産を行い、価格・デザイン・機能という面でNokia、Motorola、Samsungと競争を行った。技術的に優れた面のないソニーは、Samsungの日本の生産ラインをを使わずに低いコストで生産するという戦略に打ち負かされた。
ソニーがブルーレイを導入することで、ホームビデオにおける競争を次のステージに持っていったときには「どのようにしてブルーレイのレコーダーとプレイヤーを売るか」という、相変わらずの戦略を使っていた。ソニーはブルーレイのソフトウェア技術をブルーレイが市場に出回ると踏んで売らなかった。ブルーレイのソフトウェア技術を所有者とし保持することで、ソニーのみがブルーレイのハードウェア製品を生産・販売出来るからだ。ソニーが以前にMP3で実践した通りに、技術の所有者であるソニーのデバイスでのみMP3を使えるようにしたかったのだろう。しかし、この情報経済では、この戦略は消費者にとって便利ではなかった。そしてブルーレイはマーケットが求める形ではなかった為に赤字商品となった。
これまで説明したような戦略はソニーの経営戦略に頻繁にみられる。例えば、テレビに関していうと、ソニーはトリニトロンブラウン管が持っていた技術的なアドバンテージを失った。薄型テレビでは、ソニーは特に珍しくもない技術を採用し、赤字を生むだけの産業戦略はまたしても大量生産と生産コストの削減のみで競争を試みた。ソニーは安価な労働者を抱える資本や国々などの競争相手と対決し、結果的に過去8年間でテレビの分野で100億ドルの赤字を被った。しかし、ソニーは従来通りの戦略を使っての競争を諦めずに、テレビ分野で展開しているビジネスはより多くの赤字を生み続けている。
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